山下清展 百年目の大回想の備忘録

山下清展 百年目の大回想の備忘録
2024年6月29日(土)~8月18日(日)までの期間で山下清展百年目の大回想の巡回展が新岡県立近代美術館(長岡市)で開催されていました。以下、備忘録です。
本展では、代表作長岡の花火を中心とする絵を中心に約190点の作品が展示されています。全ての作品をじっくり鑑賞するのには1時間30分は所要時間が必要です。
入口付近の撮影がOKなエリアのものです。学芸員の方にも許可を頂きました。


本物の長岡の花火の作品は印刷物のそれとはまったく違っていました。 細部まで緻密に貼られており、こよりのような表現も紙の光沢や素材も何を使っているのか不思議でした。至極立体的で迫力と静けさと感動がありました。
山下清氏は、広義の意味での知的障がいというハンディキャップがありながら、あったからこそ放浪の天才画家といわれていたのかもしれません。作品はその場では作らずに、自身の驚異的な映像記憶で八幡学園や自宅で制作されることがほとんどだったそうです。
「今のような感じじゃなくて、子どもの頃に観た長岡の花火がそのままだったわ。」と、生まれも育ちも長岡市民の60代母の感想です。
長岡人だけでなく、観た人それぞれが特別な想いを抱く長岡の大花火、鎮魂や復興の根源は変わらないとは思いますが、先人達の想いを次の世代に繋いでいく大切な文化です。



私も、縁があって長岡に来た人間です。他の日本三大花火は見たことがないので比較はできませんが、長岡の花火が日本一ではないでしょうか。
山下清の数々の本物の作品を観ることができ、再び感性が刺激されかけがえのない時間となりました。
音楽、芸術、書道、これらは定時制高校であれば自分が得意などれかを選択ができる科目です。ただ、この3つはもともとの先天的な才能に環境と努力が伴わなければ向上がされないものだと私は思っています。
周囲に褒められ気づくことができ、弾き続けられる、描き続けられる、書き続けられる、続けられることそれ自体も才能であり、環境に恵まれているのかもしれません。
同じことをカタチを少しずつ変えながら続けることが実は一番難しいです。
令和現在、クリエイティブな職業は生成AIの登場により技術的な特異点をむかえています。人間かロボットか…。その著作権は果たして誰にあるのか。
長岡に県立の美術館があることに、展覧会が開催される度に感謝しています。